大阪七福神巡り
天候の悪い中、午前中2時間ほどかけて
京都の「伏見稲荷大社」を回りました。
そして午後からは、京都から大阪まで電車で移動して
前日にできなかった「大阪七福神巡り」を行いました。
大阪七福神巡りは、特に期間が定められていません。
参拝する順番も自由です。
歩いても7キロほどの行程ですので、
距離的にも時間的にも気軽にできる七福神巡りです。
伏見稲荷大社を後にして、京阪 伏見稲荷駅から大阪方面へ向かいました。
電車を乗り継ぎ、12時に四天王寺前夕陽ケ丘駅に到着しました。
駅から5分ほど歩いて、最初の「四天王寺」へ。
布袋尊 四天王寺(してんのうじ)
大阪市天王寺区四天王寺にある和宗の総本山。
本尊は救世観音で、聖徳太子建立の七大寺とされます。
西大門の手前右側にある「布袋堂」。
四天王寺創建時に聖徳太子の乳母が住まわれていた場所に建立されて
乳布袋尊として祀られているそうです。
布袋尊の御朱印を拝受しました。
四天王寺から西方へ向かいます。
途中の「一心寺」。
国道25号線をしばらく歩き浪速区へ。
恵美須の交差点を越えたら右側の道に入ります。
四天王寺から1.2キロほど、12時35分「今宮戒神社」に到着しました。
恵比寿神 今宮戒神社(いまみやえびすじんじゃ)
600年(推古天皇8年)創建と伝わる、大阪市難波区恵比須西の神社。
主祭神は天照皇大神、事代主神、素戔嗚尊、月読尊、稚日女尊。
四天王寺創建の折に、西方の鎮護として
祀られたのが始まりと伝えられているそうです。
こちらは神社の御朱印として。
こちらは大阪七福神の御朱印。
今宮戎駅を抜けて北西方面へ。
今宮戎神社から10分ほど歩いて、1時過ぎに「大国主神社」に到着しました。
大黒天 大国主神社(おおくにぬしじんじゃ)
「大国主神社」は「敷津松之宮(しきつまつのみや)」の境内に相殿されている摂社となるそうで
こちらは敷津松の宮の鳥居となり、奥の正面に社殿が鎮座しております。
敷津松の宮社殿。
角を曲がって国道沿いに出ると、「大国主神社」の鳥居が見えます。
やはり正面に社殿が鎮座しております。
「木津の大国さん」こと大国主神社社殿。
境内の参道が十字にクロスしている珍しい造りの神社のようです。
御朱印はこちらのみとのこと。
北東方向、なんば駅方面へ進みます。
途中、アニメ街へと入ってきました。
通称「日本橋オタロード」だそう。
オタロードを右にそれたところ。
1時20分、「大乗坊」に到着しました。
毘沙門天 大乗坊(だいじょうぼう)
毘沙門天を本尊とする、高野山真言宗の寺院。
摂津国八十八ヶ所 第二十九番札所でもあります。
毘沙門天の御朱印のみただきました。
北方へ向かいます。
堺筋から日本橋を渡ったらすぐ右へ入ります。
13時45分、「法案寺」に着きました。
弁財天 法案寺(ほうあんじ)
高野山真言宗の別格本山で、本尊は大聖歓喜天。
寺務所にて、猫を撫でたおしながら御朱印が出来上がるのを待ちます。
ご本尊の御朱印。
摂津国八十八ヶ所 第一番になります。
こちらは弁財天の御朱印。
東方へ向かいます。
途中の高津宮。
中央区谷町、2時10分「長久寺」に着きました。
鉄筋コンクリート造の建物。
福禄寿 長久寺(ちょうきゅうじ)
入口を入った右側に立派な福禄寿が祀られておりますが、撮影禁止の張り紙が。
淀君が豊臣秀頼の武運長久を祈願するために、大阪城築城時の余材で
建造したのが始まりの日蓮宗の寺院。
その後の盛衰興廃を経て、戦後の都市計画等のあおりを受けて
現在の建物へと至っているようです。
日蓮宗なので妙法の御朱印。
福禄寿の御朱印。
どうにか残りの1社寺となりました。
またもや東方へ向かいます。
1.5キロほど歩いて、2時半過ぎに「三光神社」へ到着しました。
寿老人 三光神社(さんこうじんじゃ)
天王寺区の宰相山公園内にあり「日月山神社」とも「姫山神社」とも
呼ばれていたそうです。
ここは真田丸のあった場所とされ、社殿の下には
大阪城まで続く地下道「真田の抜け穴」の入口が残っているようです。
神社の御朱印。
寿老人の御朱印。
3時間弱で、徒歩での「大阪七福神巡り」を終えることができました。
3時前でしたが最寄りの玉造駅まで行き、そこから電車で京都へと戻りました。
この日のウォーキング+ランニングの距離は
午前中の伏見稲荷神社巡りから
夜の京都での食べ歩きまで合わせて 23.1km
歩数 36.321歩
上った階数 81段
{iPhone調べ}となりました。
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