高野山へ〜和歌山
なるべく歩いてまわる御朱印収集の旅、高野山へ行ってきました。
高野山を登るのは、約2年半ぶりの3回目。
今回も麓の九度山から180町石道を歩いて高野山へと向かいました。
町石道は、九度山の慈尊院から壇上伽藍までに建てられた180の町石(五輪塔型の石柱)のある表参道。
1町が約109メートルとなっておりますので、20キロ弱の道のり。
さらに奥の院まで進めば、合計約23キロの距離となります。
5時30分、日の出前の暗いうちに九度山の宿を出ました。
慈尊院までは約1.5キロ。
5時45分、慈尊院到着。
かなり明るくなりました。
丹生官省符神社への階段を上ります。
階段途中の180町石。
旅の安全を祈願してから、本殿右側の町石道へ入ります。
なだらかな登り坂。
奥に見える道は、紀の川フルーツライン。
右に展望台。
展望台より。
「銭壺石」。
鎌倉時代の町石道整備の折、この石の上にお金の入った壺を置いて作業員につかみどりをさせて給金として与えたという伝承から名付けられたそうです。
弘法大師の石像と「接待場」。
弘法大師入定の日(旧3月21日)に、村の有志が高野詣での人々ににぎり飯や湯茶の接待をしていたことからこの名が付いたそうです。
横のベンチで10分休憩。
柿の葉寿司で腹ごしらえ。
ちょうど7時に「六本杉」到着。
左の大門方面へ進みます。
見晴らしの良い休憩所。
休憩所より。
「二ツ鳥居」。
819年(弘仁10年)、弘法大師が丹生明神・高野明神を高野山に勧請した際に建立したとされる鳥居。
当時は木造だったそうです。
「白蛇の岩と鳥居」。
しばらく右側にゴルフ場が続きます。
「神田地蔵堂」。
百町。
中間地点の90町に着いたのは、8時12分。
慈尊院から約2時間半で来れました。
鳥のさえずりに混じって、車の走行音が聞こえてきます。
そして正面には「矢立茶屋」。
8時55分到着。
こちらのベンチを借りて10分休憩。
矢立茶屋からの道は、今までより少々急な登りになった感じ。
「袈裟掛石」。
弘法大師が袈裟を掛けたと伝わる石で、ここから高野山の清浄結界となるそうです。
「押上石」
弘法大師の母が結界を乗り越えて入山しようとした時、激しい雷雨に襲われたところを、弘法大師はこの大磐石を押し上げて母親を匿ったとされる場所。
車道をわたり再び町石道へ。
「鏡石」
直径十数センチほどあるおっぱいキノコ発見。
オオシロカラカサタケという種類だと思われます。
いよいよ最後の急坂を登ります。
10時30分、汗だくになりながらも「大門」に到着しました。
すっかり晴れていい天気です。
3町石。
壇上伽藍の手前の1町石。
茂みに隠れてわかりずらいところにあります。
そして10時45分、「壇上伽藍」到着。
九度山の慈尊院からは、前回同様約5時間で登ってこれました。
思いのほかコンディションも良好。
このあと、お寺を数カ所巡り、奥の院まできっちり参拝してまいりました。