大峰山寺へ〜奈良
なるべく歩いて巡る御朱印収集の旅。
今回は、奈良県内にある「役行者霊跡」の札所を中心に巡って来ました。
当初組んでいた予定は、午前中吉野入りから役行者霊跡巡り→午後から歩いて約20キロ先の洞川温泉へ→洞川温泉宿泊→2日目午前中大峰山登山から大峰山寺参拝→下山→午後より洞川温泉から歩いて吉野駅へ→近鉄線で夜京都入り、といったもの。
しかし、2日目の天気予報が雨だったため予定を大幅に変更。
初日に大峰山を登る事としました。
早朝、高速夜行バスで京都入りし、そこから近鉄線で吉野の手前の下市口駅で下車。
この日のうちに大峰山寺参拝を終えるため、不本意ながら久々にバスを使いました。

9時20分、1時間ほどバスに揺られて奥吉野にある天川村の洞川温泉にやって来ました。
洞川温泉は、丹生川上神社を巡った時以来の2度目の訪問となります。
ここから歩いて、約9キロ先の大峰山寺まで向かいます。
バス停横の山上川にかかる持影橋を出発。
レトロな街並みの洞川温泉街。
毎年の8月2日、3日に行われる「行者まつり」の準備も整いつつあるようです。
温泉街を抜けて山道へ入っていきます。
役行者による大峯山修行の起源となった、山岳宗教発祥の霊山と云わる蛇之倉七尾山。
黒門と貝初(延命)地蔵。
行者の道こと県道21号線(すずかけの道)。
名水百選 ごろごろ水。
自分の身を案じて追ってくる母白専女のために、役行者が洞川の人たちに頼んで建ててもらったされる庵「母公堂」。
右側には、「女人大峯」とも呼ばれる稲村ヶ岳ルートの細い山道入口があります。
左は、以前歩いて行った川上村方面への道。
今回は真っ直ぐ進みます。
大峰山清浄大橋。
現在も女人禁制を守り、修験道の聖地とされる大峰山。
10時10分、女人結界門より入山、山上ヶ岳の大峰山寺を目指します。
登山者とすれ違った時の挨拶は「こんにちは」ではなく「ようお参り(です)」と言うのが、大峰山のルールだとか。
役行者を祀る小さなお社。
役行者像は平成28年から行方不明となっているそうです。
最初の茶屋となる一本松茶屋。
山頂までは4キロ弱。
建物の中を通り抜けていくタイプの茶屋。
木製ベンチが設てあるだけの無人の小屋でした。
お助け水こと役之行者慈悲乃助水。
11時20分、洞辻茶屋に到着。
こちらの小屋の中には店員さんがいて、カップラーメン類とゆで卵の販売がありました。
茶屋を出た先に居られる「出迎え不動」。
本堂までは約2キロ。
茶屋の横からの景色。
陀羅尼助茶屋は、先ほどの洞辻茶屋から10分ほどで着きました。
こちらの茶屋は細かく店が分かれていますが、一軒も空いていませんでした。
次の松清茶屋は、陀羅尼助茶屋からすぐの所にありました。
松清茶屋をくぐると別れ道の選択が待っています。
左が古来よりの行者道で、右が階段多しの平成新道。
基本的には左に行くのが定番のようです。
帰りは平成新道へ回るようにと、先の案内看板に促される事となります。
油こぼしの階段に入ります。
油こぼしの階段は、急斜面にジグザグに設けられた木制の階段の行場で、裏階段とも呼ばれているそうです。
大峰山には行場とされる場所がいくつかあり、また表行場・裏行場にも分かれているようです。
小鐘掛岩の鎖場。
鐘掛岩が見えて来ました。
標高1620m、鐘掛岩の展望台より。
登ってきた方向を見下ろせます。
役行者像とお亀石の囲い。
等覚門を入ります。
門の手前、役行者と前鬼、後鬼の像が祀られています。
平坦な道から岩場を越えます。
5軒あるという宿坊が見えました。
この上が「西の覗」。
断崖絶壁から逆さ吊りにされる捨身行が行われる「西の覗」。
この岩の先から吊るされるようです。
下にカメラを向けるも、ここまでが精一杯。
宿坊の手前の別れ道。
龍泉寺の宿坊。
こちらは洞川温泉にある龍泉寺の建てた山上参籠所。
龍泉寺の手前より。
いよいよ大峰山寺に近づいて来ました。
本堂手前の妙覚門。
12時15分、ついに大峰山時に到着しました。
洞川温泉からは約3時間。
清浄大橋からも2時間少々で登ってこれた事になります。
特に大きな休憩も取らず、なかなか良いペースで登って来れたようです。
この後は、大峰山寺参拝となります。
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